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ホルベインの広告 2009

『芸術新潮』、『NHK趣味悠々』、『美術手帖』に掲載しているホルベインの広告をご紹介します。

『芸術新潮』11月号 /新潮社

「アダムとエヴァ」はドイツ生まれのデューラーが、二度目のヴェネツィア留学後に描いた作品である。中でもエヴァの理想的なプロポーションと透けるような肌の美しさは、ラファエロやダ・ヴィンチとの親交から学んだ“人間美の追求”や“グレーズ技法”がなければ完成しなかった。「油一」は透明性が高く、下層が透ける塗りができる色を基本に、油絵具本来のプリミティブな顔料と油を用い、現代にしかできないテクノロジーを投入してできた油絵具。「油一」油絵具なら、レド ホワイト、イエロー オーカー、アリザリン レーキを基調とした半透明色を塗り重ねる技法で、エヴァの肌の色と質感が生み出せる。イタリア・ルネサンスの知がデューラーの傑作を生んだように、21世紀の知からつくられた「油一」が作家のクリエイティビティを誘惑する。

『芸術新潮』9月号 /新潮社

鮮やかな赤に惹かれて近づくと、深い英知と感情を秘めた男の顔に出合う。ヤン・ファン・エイク(1390頃~1441年)の「ターバンの男の肖像」である。フランドル派の画家は、不透明色の上に同系色の透明色を薄く重ねるグレーズ技法で自然や事物を描いた。600年以上を経た今も、その鮮やかで、深く、透明感のある画面は我々を魅了する。「油一」は油絵具の原点であるヨーロッパ中世から近世の顔料、油にこだわるとともに、色調、耐久性などの面で、現代にしかできない技術を投入して生まれた21世紀の油絵具。赤いターバンの風合いも、肌の精緻な質感も、「油一」油絵具なら描ける。ファン・エイクのように。そして、ファン・エイクが描ききれなかったものも。

『芸術新潮』5月号 /新潮社

禅寺へ行け。

尼寺へ行けと叫んだのはハムレットだったが、いまの日本ならさしずめ禅寺へということになろうか。近ごろでは各地の有名な寺がお泊り修行などと称して座禅や写経などのプログラムを開いていて、これがなかなかに人気らしい。私語はもちろん一切の音も禁止という食事の修行などは、雑音に満ちた都会の海で生きる人にとって、逆に新鮮なことなのかもしれない。でもそういうプチ修行へ行く時間もないという人には絵を描いてみることをお勧めしたい。聞こえるのはキャンバスを走る筆の音だけ、そして筆を運ぶたび、煩悩がひとつひとつほぐれていく、自分だけの密やかで楽しい修行。あなたの身近なオフィーリアにもそっと教えてあげたいはずだ。

『芸術新潮』1月号 /新潮社

やめてくれ、そんな目で見るのは。

「男があらゆる理屈を並べても、女の一滴の涙にはかなわない。」
ヴォルテールにそう教えられるまでもなく、涙の前ではなすすべもない。悲しみ、苦しみ、絶望から流れ出す涙だけではなく、彼女たちは、喜びという涙の源泉も隠し持っているから手に負えない。
もし男にこれに対抗できる武器があるとするならば、ひとつはその涙を記録するということかもしれない。例えば絵画だ。筆を運びながら、無心になればなるほど、女の感情に囚われることなく客観という世界で自由に心を解放することができるはずだ。
しかし涙には色がない。しかも涙はすぐに乾く。
涙を絵に留めるには、熟練と技術が必要だ。それも人生においての。